2007年12月1日の札幌ドームでの話
この年のシーズン最終戦である。
結果は、1-2の逆転負け
札幌のJ2優勝を確定させてしまった試合だったが、ゴール裏の水戸サポは
挨拶に訪れた敗軍の将に、涙ながらに「ごめん!ごめんな!!」を連発していた。
敗軍の将である前田秀樹もまた、笑顔で手を上げながら真っ赤な目を何度もこすり、名残惜しそうに何度もこちらを振り返っては手を上げ、時間をかけてゆっくりと去っていった。
負けたチームの監督にサポーターが謝り、その後は監督とサポーターが互いに泣きながら感謝を伝え合う不思議な光景――
その試合から遡ること数週間。Jリーグ最小規模での低空飛行を続ける水戸に激震が走った。簡単に言うと
・成績不振のため、前田秀樹との契約を延長しない
・しかしその判断は、強化部のアタマ越しにフロントで決定されたものだった
サポーターも、裏取りや討議を重ねた上でホーム最終戦で上層部への抗議活動を行った。
しかし既決事項を覆すことはできず、5年の長きに渡り水戸の暗黒時代を明るく率いた前田秀樹はクラブを去ることになる。
プロクラブとしては当然の結論だったのかもしれない。
予算最小とはいえ順位は低迷し、守備に重きを置いて勝点を手堅く拾う現実的なフットボールは興行向きとは言えず、また将来に繋がるものかという部分についてサポーターからも疑問が噴出していた。
問題は、その話が本来イニシアティヴを握るべき強化部で諮られずにフロント主導で進められ決定されたこと。前田秀樹の続投に賛成か反対か以前の問題だった。
冒頭の状況はこうして生まれたものだった。
サポーターは『俺たちは前田さんを守れなかった、申し訳ない。5年間ありがとう』
前田秀樹は『いや俺が悪い、お前らの気持ちには感謝している。5年間ありがとう』
前田秀樹は偉大である。
クラブではJSL1部(現J1)の古河電工(現ジェフ千葉)で法政大卒業から14年を過ごし、期間中にリーグ優勝1回・準優勝1回、天皇杯優勝1回・準優勝1回、リーグカップ優勝3回・準優勝1回、1986-87シーズンにはアジアクラブ選手権(現ACL)も制した。
(JSL1部209試合35得点)
また、木村和司の前の日本代表の10番を背負い、日本代表のキャプテンという重責を、歴代最長で負った男でもある。当時の日本サッカー界では最大のイベントとも言える五輪予選にも、モスクワ・モントリオール・ロサンゼルスと3度選出されている。
(国際Aマッチ65試合11得点・その他日本代表での国際試合73試合13得点)
数々のサッカー番組で解説を務め、93年秋のいわゆる『ドーハの悲劇』の地上波解説を担当していたことは特に知られている。
そんな男が水戸の監督に、と聞いた時は相当身構えた。
「こんな半分アマのようなクラブに前田秀樹が!?嘘だろ?」
しかし実際に前田秀樹は水戸の監督に就任した。
その後、前田秀樹を監督に据えた水戸ホーリーホックがどのような5年間を過ごしたかは、前田退任以降の水戸サポーターの耳にも触れる機会が多いのではないだろうか。
就任した2003年に持株会制度がスタートした影響もあろうが、ファン・サポーターはもとよりクラブを取り巻く支援者の輪に積極的に飛び込み、凄すぎる経験を持ちながら全く鼻にかけない親しみやすいキャラクターで、支援の輪を大きくしていった。
・国立前田祭り
・笠松前田祭り
・バス囲みからの土下座事件
これらは全て、前田秀樹という男の魅力が生み出したものである。
あまり知られていないが、勝敗に関わらず試合後にスタジアム近所のレストランにサポーターを集めてディナーを共にしながらその日の試合について質疑応答、などという離れ業もあった。もちろん、参加者が支払うのは自分の飲食代だけである。
水戸ホーリーホックが市民クラブとして在る現在は、前田政権時代にじっくり基礎固めをできた結果だ。
その前田政権を強化で支えた鬼塚元強化部長・上原元JYコーチ、いずれも前田政権の重要なピースである選手だった鈴木和裕・大和田真史・岩舘侑哉。
前田秀樹を含めたこの6人が在籍する東京国際大と公式戦で対戦できたことは、JFAの素晴らしい仕事と言えよう。
・・・・・
なんかの記事っぽい?
デリホリっぽい?
別に?
あ、そう( ³ω³ )
いやさ、この前の試合後にちょっと思うところあって。
前ちん鬼さんもそうだけど、3人の選手たちというか昔の選手達ってすげーサポーターに近かったなと。
その手の話は古めのサポーター連中の間で結構話してて、『昔はよかったのに』ってアプローチもあれば『あの頃は楽しかったけど弱かった、戻りたくはない』ってアプローチもある。
俺は『なんでこんなに変わったんだろう』派なんだけど、いや、 派 ってw
そう。この前の試合後にさ、久々にドキドキしたのよ、昔の連中を前にして。
で、久々に『なんで今とこんなに違うんだ?』って疑問が再燃して。
直後からいろんな層にその話振って話聞いてみて、自分なりに結論が出てすっきりしてるとこ。
撮影:温泉はかせ
まず前提として、俺が言ってる『昔』ってのは、前田政権が終焉を迎えた2007年まで。って言っても2001年以前は知らんから2002~2007年だね。カンカン(菅野将晃)時代から前ちん時代。
夢中だった俺が言うのもなんだけど、ほんとヘタクソだった。
言うても長いサッカー人生の末にプロに辿り着いた奴ばっかなんで当然テクニック的にいいものは持ってる。でも、メンタルが弱かったり調子の波が大きすぎたりプライベートが無茶苦茶だったり、まあアレだ プロサッカー選手としての自覚に満ち満ちてた奴はほとんどいなかったと思う。
ヘタクソだったから良かったのか?
それは違う
やっぱ強いほうがいい。
前ちんが去って以降のクラブの強化方針は成功してると思う。
まず、きーやんが『この予算でも』攻め勝つチームに着手。
この時期に、荒田・菊岡という大卒の攻撃的な選手を当てて、元日本代表FW・吉原宏太の獲得に成功したことが大きかった。浦和からレンタルで獲得した高崎も、たった1年だけど大きな爪痕を残してくれた。
2009年にはクラブ創設後、初めて本格的に昇格レースに参戦し、参戦してすぐに謎の大連敗を喫して沈没していった。
その後のテツさんは、『隠れた原石を見つけて育てて複数年契約した上で売る』という明確なビジョンを打ち出し、後に日本代表に登りつめる塩谷、現山形の雄斗、一時的?出戻ってるフランク、現徳島の陸斗、現松本の三島などを育て上げ、ブレイクスルーできず燻っていた橋本晃司や田中雄大や輪湖直樹の尻を叩いてJ1に放流した。
またその間、(タナボタ的にも見えるが)元日本代表の鈴木隆行、同じく市川大祐、J1を長年経験し出戻った冨田大介など、ベテランを重用しチームバランスを整えながら若手の育成にも大きな影響を与えた。
クラブとして前に進む為の大きなヒントを提示してくれたテツさんはしかし、2015年序盤の不振の責任を取る形でシーズン途中に解任されチームを去った。
降格制度がなければ、柱谷政権は前田政権を凌ぐ長期に渡り続き、クラブを更に前に進めてくれた可能性が高いと今でも思い、残念でならない。が、今はその話は置いといて
そんなこんなで、今ガール
最近の選手はおとなしいねー
ホントにそうか?
まあ、おとなしいかなw
その辺の自分なりの総括ができたんですっきりしたんだけどね、やっぱこう見えてもこのクラブは成長してるんだよ
昔よりも、選手はプロフェッショナルに振舞ってくれてる
「昔の選手は俺らと一緒に戦ってくれた」
ってのは、正しくもあり、間違いでもある。
正解は、
「昔も今も、選手たちは俺らと一緒に戦ってくれている」
なんだよね
こういう言い方もなんだけど、やっぱ昔の選手は前述した通りプロ意識が低かったんだと思う。前ちんも含めて。いや、クラブ自体も、サポーターも低かった。
もちろんそれは悪いことだけではなくて、いいこともたくさんあった。
時間が経つといいことばっか思い出すんで、古いサポーターは『昔はよかった』になるんで、そういう話されたら優しく聞いてやってwほんでアレよ、お前らもそのうちそうなるからw
2000年代前半から2011年あたりのクラブにとってのひとつの過渡期の頃、長年のサポーターがよく口にした言葉があった
「プロっぽい!」
「Jリーグっぽい!」
・選手ファンが多い
・サイン会で行列ができる
・グッズが飛ぶように売れる
・みんなレプリカを着てる
・選手のバス待ちに人だかりができる
当時、こんな感じのことにいちいち俺らは本気で驚いてた。
逆に言えば、いずれも以前の水戸では(あまり)見られなかったこと。
そりゃ儲からんよw
この辺もクラブの成長だと思う。
やっぱ選手はスターであった方がいいし、キャーキャー言われてて欲しい
でもやっぱせっかくだからいい部分は残したいよね
バスから降りてくる時に無視とかアホかと思うもん
試合前の集中を乱すな?
試合前にファンサ求めるな?
前にどっかで言ったけど、そこでバスを迎えたサポーターに顔を向けて頷く仕草したり手を上げたりするだけで集中乱れるような奴はプロでやってる資格ねーよ、やめちまえよ、と真面目に思う
それはファンサービスだから試合前には余計なことさせるなってんならアップの時もスタメン発表の時も何にも反応せずスタンド無視して黙々とやれよ
そういう細かいことを見ていった時にどうしても疑問が生まれるんだよね
疑問と言うか『昔はよかった』に行き着いてしまう
でも昔はバス待ち自体なかったけどなw
やってもらえる今に感謝できない奴なんてプロじゃないね
あーあと昔はしょっちゅうケンカしてた、選手とサポーター
山崎vsサポ
木澤さんvsサポ
トゥーリオvsサポ
栗田vsサポ
・
・
・
試合後に選手とサポ間が険悪な雰囲気のままその場をクローズしてモヤモヤしてたら、次の試合のアップ開始前にキャプテン大和田と兄貴的存在のトキ(時崎悠)がクルヴァまで出向いてくれて、今日からまた一緒に戦って下さい ってなことをわざわざ言いに来てくれたりね。
あれは天皇杯で静岡FCに負けた時だったかな?
アンジー(現熊本のアンデルソン)とトキが試合後のロッカーで大喧嘩して、アンジーがトキの携帯へし折って叩きつけたら、それが別の人の携帯でロッカールームがどえらい雰囲気で凍りついたと言うあの伝説の敗戦ですよ。
アンジーwバカだwww
でもやっぱすげー向き合ってくれてたし、一緒に戦ってる感がハンパなかった。
表現の方法なのかな。
仕方ないのかな。
そうなるシステムは分かったけど、割り切れない部分もある
割り切れない部分もあるけど、昔と比べ物にならんようなサッカーエリートが集まるようになったこのチームが進歩したってことで納得しなきゃな。
そこが納得できん奴は老害って呼ばれるんだぜきっと(`ཀ´)
そういう訳で結論としては無理やり気味ではあるけど、今いる連中もちゃんと水戸のために戦ってくれてると。
一番苦しかった昨シーズンに、結構見えたんだよね。
今はいないけどケンジとやりあったり(あいつは昔の水戸を感じさせてくれる奴だったw)、キツ目の幕を出したらキャプテンである船谷がそれをじっくり読んだ上で、いつもより前まで、クルヴァにギリギリまで近づいてきて挨拶したり。
共に歩んでいないわけじゃない
共に戦っていないわけじゃない
選手が変わったんじゃなくて、取り巻く環境が変わったんだなきっと
客も昔よりだいぶ増えてるし、例えば試合後のバス待ちが
・コアな奴が6人+女子供10人
の状況と、
・女子供とファミリー100人、その外側で見守る100人
の状況で同じリアクションのがおかしいわなw
昔はよかった
今もいい
未来はもっといい
つまり
水戸様はいいぞ
ってことだ
いいね( ・`д・´)
疲れたんでとりあえず一旦終わりです
「なんかの記事っぽい?」以降すっげテキトーに思い浮かんだこと一気に書いたから、誤字脱字文脈のおかしさは許してね タダやし
ちゃんとしたのはその内たくやっちが書くよきっと( ³ω³ )
チラ裏には続きがある、かもしれない
アディダス☆
ファベーラの吉田たち
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